|
5代目古今亭 今輔(ここんてい いますけ、1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)は、群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。実子は曲芸師の鏡味健二郎。 == 略歴 == * 群馬県堺町銘仙織元「藤本屋」の三男。 * 1913年 - 家出同然で上京し上野松坂屋に勤務するが、上司と喧嘩し、僅か20日で退社した。以後、11の店を転々とする。 * 1914年5月 - 初代三遊亭圓右に入門し、初代三遊亭右京を名乗る。 * 1916年7月 - 師匠圓右の息子2代目三遊亭小圓右(後の2代目三遊亭圓右)の我侭に耐えられず、後に兄弟子初代三遊亭右女助(後の4代目古今亭今輔)一門に移籍。 * 1917年 - 二つ目に昇進し、桃助に改名。 * 1919年3月 - 初代柳亭市馬の紹介で、市馬の師匠3代目柳家小さん一門に移籍し、4代目柳家小山三に改名。当時の東京の落語家で最長老の三遊一朝から多くの古典落語を教わる。 * 1923年3月 - 真打昇進。 * 1925年9月 - 兄弟子初代柳家小はん、3代目三遊亭圓楽(後の林家彦六)らと共に落語革新派を結成する。 * 1925年11月 - 再び柳家小さん三と改名。 * 1926年1月 - 落語改革派を解散し、同年?2代目桂小文治一門に移籍し柳家小山三と複名。 * 1931年12月 - 師匠小文治の前名である3代目桂米丸を襲名。 * 1941年4月 - 5代目古今亭今輔を襲名。 * 1964年 - 日本放送作家協会大衆芸能賞受賞。 * 1967年11月28日 - 師匠小文治の死去にともない、師匠小文治の後任で日本芸術協会副会長に就任。 * 1970年1月 - 当月中席(10日~20日)限りで閉場する寄席人形町末廣で最後の主任(いわゆるトリ)をつとめる。 * 1973年 - 3月、昭和47年度第24回NHK放送文化賞受賞。4月29日、勲四等瑞宝章受章。 * 1974年3月1日 - 6代目春風亭柳橋の後任で日本芸術協会2代目会長に就任。 * 1976年12月10日 - 胃潰瘍で死去。享年78。叙・従五位。墓所は新宿区顕性寺。今輔の死後、芸術協会3代目会長には総領弟子の4代目桂米丸が就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古今亭今輔 (5代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|